「侏儒の言葉」 ~心に突き刺さる 研ぎ澄まされた言葉の数々~
先日読んだ「新しい道徳」の扉にも引用されていた芥川龍之介の「侏儒の言葉」。
実は、ずっと読みたいと思いつつ放置していた1冊。
最初のきっかけは、高校の時(はるか昔の記憶)。
国語の教師が「これは、絶対読むべき。」と言っていたのが頭に残っていて、一度は文庫本を購入するも、引っ越しで行方不明に。
電子書籍で無料で購入できることを知り、今回、何度目かのチャレンジ。
芥川龍之介の短い生涯、その最後の4年に書かれた箴言(しんげん)集。(ちなみに、箴言(アフォリズム)とは、「物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句。警句。」のこと。)
正直、かなり難解。
鋭い刃のような文章。きっと、研いで、さらに研ぎ澄まして…そうやって命を削るように書かれた文章なのだろう。
消化しきれない文章も多かったけれど、心に刺さった箇所を一部引用してみる。
道徳は常に古着である。
古典の作者の幸福なる所以(ゆえん)はとにかく彼らの死んでいることである。
危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。
あらゆる神の属性中、最も神のために同情するのは神に自殺のできないことである。
もし正直になるとすれば、我我は忽ち(たちまち)何びとも正直になられぬことを見出すであろう。この故に我々は正直になることに不安を感ぜずにはいられぬのである。
忍耐はロマンティックな卑屈である。
「高校の時に読んでも、多分ほとんど理解できなかっただろうな。」と思う反面、「高校の時に読んでいたら、どんな風に感じたんだろう。」と、読まなかったことをちょっと悔やんでいたりもする。
人生経験をもっと積んだら、また違った感じ方をするのだろうか?
これから先、また読み返すのが楽しみな1冊になった。
(どうか、その時は、もう少し理解が進んでいますように…。)
では、また次回。ごきげんよう。